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「当たり前」ではなく、「有り難い」と思うこと

  • 吉川義之
  • 5月5日
  • 読了時間: 2分


突然ですが、「ありがとう」の反対語って何だと思いますか?

実は「当たり前」がその反対語になるそうです。


「ありがとう」は本来、「あることが難しい」という意味。

「当たり前」は逆に、「あることが普通」と捉えています。

日頃、私たちが使う「ありがとう」には、「難しいことをしてくれた」という感謝の気持ちが込められているんですね。



身の回りの“当たり前”を疑ってみる


 普段の生活を振り返ってみると、水道の蛇口をひねれば水が出る、寒い日でもお湯が使える、朝普通に目覚めて学校や仕事に行く…これらは本当に“当たり前”でしょうか。


水道・ガス・電気など、インフラが整っている

目覚めて行動できる健康状態

家族や友人、職場の人たちとのコミュニケーション


これらは実は“当たり前”というより、“有り難い”ことばかり。

私たちはこの事実を、つい見過ごしてしまっているのかもしれません。



注意や叱責を受けることも“有り難い”


 誰かから注意や叱責を受けると、最初は腹が立ったり、嫌な気分になることもありますよね。でも、相手は自分のために労力を使ってくれているわけです。いわゆるハラスメントだと感じることも時にはあるかもしれませんが、本当に真剣に指摘やアドバイスをしてくれる人がいるというのは、実はとても“有り難い”こと。


人を叱るのにはエネルギーが要る

その人が嫌われるリスクを負ってでも、注意してくれている


こう考えてみると、叱られたときには「ありがたいな」と受け取れるかもしれません。



すべてのことに感謝する習慣

 “当たり前”を“有り難い”と思えるようになると、身の回りの景色が変わってきます。水を使うとき、健康で過ごせること、誰かが声をかけてくれること…。何気ない瞬間にも感謝の気持ちが生まれるのです。


 もしかすると、日々のストレスや不満も、少しずつ軽くなるかもしれません。だって、その場にいられること、行動できること自体が「有り難い」ことだ、と気づけるから。


 ぜひ一度、身近な“当たり前”を見直してみてください。思いがけない「感謝の種」が見つかるかもしれません。

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